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悲しみ

Author:悲しみ
40歳、会社員、男、独身です。
2007年夏にマンション買いました。
日々の出来事や考えていることを綴っていきたいと思います。

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42歳の独身男の日記です
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完璧主義をやめる
俺はけっこう完璧主義者だと思う。
ついつい完璧を求めてしまう。
完璧主義ってあまりよくないなと思う。
俺が完璧主義をよくないと思う理由は二つある。

ひとつは、自分を責めて落ち込む原因になってしまうから。
物事に完璧なんてないと思う。
なにかしらうまくいかない部分が出てくる。
完璧主義者だと、そのうまくいかない部分が許せず、
自分を責めて落ち込んでしまう。
全体的にはうまくいって90点の出来で充分だったとしても、
その90点に注目しないでマイナスの10点の方に視点をおいて満足せずに落ち込んでしまう。
物事を0か100かで考えてしまい、完璧じゃなきゃ意味がないと自分を追い込んでしまう。
非常にもったいないし、自分を追い込むので危険だと思う。

もう一つの理由は、完璧主義者だと行動することを躊躇してしまう。
やる前から、ここがうまくいかなかったらどうしようとか、
こんなことがあったらどうしようとか、いろいろなことを考えてしまい、
結局行動できずに終わってしまう。
せっかくやる気もあって、真面目に考えているのに、やる気がなく何も考えていない人と
「行動しない」という点では同じ結果になってしまう。これも非常にもったいないことだと思う。

完璧主義な人って、自分もそうだけど失敗するのを極端に恐れているのだと思う。
でも、こう考えてみたらどうだろう?
「失敗」ではなく「経験」。
「トライ&エラー」なんて言葉があるが、失敗はエラーを一つ潰したと考えたらいいと思う。

例えば、新しいゲームをやり始めた時って、最初はわからないから失敗ばかりだと思う。
失敗して何度もやり直しているうちに、「こうやるとうまくいかないんだ」「こうやってもダメなんだ」
というのがわかってくる。そうやって、ダメな条件を潰していくうちに、クリアする方法がわかってくる。
つまりゲームをクリアするのは、たくさん失敗してダメな条件を潰していくのが一番の近道だ。
失敗を恐れて、最初から完璧にクリアすることを考えていたら何もできない。
そしてトライしないかぎり、エラーを検出できないので成功する方法も永遠にわからない。

人生もゲームと同じだと思う。
物事にもよるが、あまり深刻に考えずにゲーム感覚でとりあえずやってみればいいと思う。
仮に失敗しても落ち込まず、エラーを一つ潰したと思えばいい。
それにやったことないことをやるわけだから、ある意味失敗して当たり前だ。
うまくいかないことに挑戦している自分は偉い、と自分を褒めてあげてもいいと思う。
逆にいうと、失敗しない人って、自分がわかっていることしかやらない人だから
進歩がない人という考え方もできる。

とにかく、失敗を恐れて、あれこれ考えて何も行動しない時間が一番もったいないと思う。
最初から完璧にできることなんてまずない。
何度も失敗して、何度もトライして、完璧に少しずつ近づいていけばいいと思う。
自分は、いつもあれこれ考えてしまい結局行動できずに終わってしまうことが多いので、
今後は、エラーを一つずつ潰していくつもりで行動してみようと思う。

長くなってしまったので、まとめると
・とりあえずやってみる
・あれこれ考えて結局何も行動しない時間が一番もったいない
・失敗しても落ち込まず、エラーを一つ潰して成功(完璧)に近づいたと思えばいい
・失敗しても自分を責めず、うまくいかないことに挑戦している自分は偉いと自分を褒めてあげればいい。

・・・こんな感じかな。完璧主義な性格を改善できるといいな。

というわけで、このブログの文章も完璧には程遠いですが、目をつぶってやって下さい(笑)

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思い込んでただけ
ドラマ「Missデビル 人事の悪魔・椿眞子」を見た。
初めて見たが、いい話だった。

「○○は自分で思い込んでたんじゃないかな。
自分がやらなきゃいけないって。
自分が犠牲にならなきゃいけないって。
でもさ、それってすごいもったいないよ。
お前の時間なんだし、お前の人生なんだから・・・」
というようなセリフが印象に残った。

このドラマ、最初から見ておけばよかったなぁ。
まあ、これから先は見よう。

あがり症の心構え
俺はあがり症だ。
若い頃は、けっこう平気で人前でも普通に話ができたのだが、
20代後半くらいから、人前で話す時、緊張するようになってしまった。
具体的には、鼓動が早くなり、声が震えて、汗が大量に吹き出してしまう。
それから人前で字を書く時も、手が震えてうまく書けないようになってしまった。

若い頃は平気だったのに、どうして歳をとって緊張するようになってしまったのかな?
おそらく、ある程度の年齢になって、自分より後輩ができて、
「うまくやらなきゃ」「失敗はできない」「みんなにいいところを見せたい」という
気持ちが強くなってしまったのだと思う。

一度緊張してしまうと、次から緊張することを意識してしまい、
どんどんどんどんあがり症はひどくなってしまった。
それに反比例して、会社では役職もあがり人前で話す機会が増えていった。
これは辛かった。会議で発表するのが嫌だから昇格したくないと思ったりもした。
あがり症に悩んでいる人は、けっこうそういう人が多く、能力があっても
自分の能力より低い地位にいる人はけっこう多いのではないかと思う。

俺は今40代だが、やっぱり今でもあがり症だ。
というか、若い頃より今の方が症状が酷い。今が一番酷いといっていいくらいだ。
若い頃あがり症で、でも歳をとって、若い頃より少し図々しくなって、
いろいろな経験も積んであがり症が治ったというのならわかる。
でも、俺の場合は全く逆だ。歳を重ねるごとに症状が酷くなっていった。

あがり症関連の本を読んだり、ネットで調べたりしたのだが、
「腹式呼吸をする」とか「念入りにリハーサルをする」とかテクニック的な話が多く、
もちろん参考になった部分もあったのだが、
根本的解決にはいたらず、あがり症は治らなかった。

いろいろ悩んだが、考え方を変えるようにした。
今までは、「緊張しないようにする」というのを目標にしていた。
「鼓動が早くならないようにする」「声が震えないようにする」「汗をかかないようにする」
というのを目標にしていた。
この「○○しないようにする」という目標は立てない方がいいと思う。
何故なら、しなくて0点、してしまうとマイナスになってしまうからだ。
例えば、5回人前で発言する機会があったとして、4回緊張しなくても1回緊張してしまったら、
失敗になってしまい、「緊張してしまった」と落ち込む原因になってしまう。
それよりも、少しずつでも、加点できて、自信を積み重ねることができる目標がいいなと思った。

そこで次のように目標を変えた。
「緊張してもいいから、言いたいことを伝えよう」
「緊張してもいいから、早くその場を終わらせようとしないで、最後まできちんと伝えよう」
「緊張してもいいから、最初の1行だけ、大きな声で言ってみよう」
・・・こんな感じ。

「緊張してもいいから」と思うだけで、少し気が楽になった。
今までは、会議が終わると、
「今日も緊張してしまった」
「やっぱり俺はサラリーマンなんて向いてない」
「会社を辞めた方がいい」
「降格願を出して、会議に出席しなくていい平社員で一生を終えたい」
などと考えてしまい、もの凄く落ち込んでいた。

でも、この目標に変えてからは、あまり落ち込まなくなった。
「緊張しちゃったけど、とりあえず言いたいことは最後まで言えたから、まあ、いっか」
と思えるようになった。
以前は、「今日も緊張してしまった」と思い、自分の自分に対する評価はマイナスだった。
でも、今は、「緊張しちゃったけど、○○はできたから、まあいっか」と思うようになり、
自分の自分に対する評価は40点とか50点とかのプラスになった。
90点とか100点にはならないけどね(笑)

まあ、とにかく、「緊張しないようにする」という目標設定をしてしまうと自分が苦しくなるので、
「緊張してもいいから、○○しよう」という目標設定にするといいんじゃないかなと思う。
もちろん、それでも緊張するけど、終わった後、自分を責めて落ち込まなくなる。
「緊張しちゃったけど、○○できたから、まあ、いっか」と思えるようになる。
これってけっこう大事なんじゃないかなって思う。

あがり症の人って、多分真面目で完璧主義者な人が多いと思う。
そういう人は、少しでも失敗するとその後自分を何度も責めて落ち込んでしまうから、
自分を責めないようになるだけでも、かなり楽になると思う。

というわけで、今度会議で発表しなくてはならないけど、「緊張しちゃったらどうしよう」と
悩んでいる人は、「緊張してもいいから、○○しよう」と別の目標を持つと、もしかしたら
少し気持ちが楽になるかもしれません。お互い、がんばりましょう。

「どうして」ではなく「どうしたら」
俺は35歳ぐらいの頃から加齢とストレスのせいか、精神的に参ってしまって、
おそらく自律神経が乱れているのか、眠れなくなったりその他いろいろな症状に悩んできた。
それでもなんとかやってきたが、ちょうど一年前くらいの去年の4月、
本格的に体調が悪くなってしまった。
どうしてもベッドから起き上がれなくて会社を休んでしまったり、
電車に乗るのが怖くなってしまって、休日に電車に乗る練習をしたこともあった。

あの頃の自分は、いつも「どうしてこんな風になってしまったのだろう?」と考えていた。
そして、「あの時、あの人に傷つくことを言われたのが始まりだったな」とか
「あの人がうちの会社にやってこなければこんな風にはならなかった」
「あの人に俺の人生を滅茶苦茶にされた」「俺はいつも運が悪い」
「こんな風になる前にさっさと会社を辞めておけばよかった」
・・・等々ずっと考えていた。
それこそ本当に一日中。自分でも呆れるくらい。
休日はずっと過去の恨みごと、ずっと同じことばかり考えていた。

でも、そんなことを考えていても何も変わらなかった。当たり前だ。
たとえ、体調を崩した原因がわかったとしても、誰かをどれだけ憎んだとしても、
何も変わらない。イライラしている自分に気が滅入るだけだ。

そこで自分への問いかけを変えることにした。
何故だかわからないが、俺はいつも「どうしてこんな風になってしまったのだろう?」と考えていた。
それを「これからどうしたい?」「どうすれば自分の望む生活ができるかな?」という
問いかけに変えることにした。

「これからどうしたい?」・・・という問いかけに対しては、
例えば、会社を辞めて家でひとりでもできる仕事をしてお金を稼ぎたいとか、
いや、本当は自分はたくさんの人と関わって本当の自分を出して仕事をしたいとか、
いろいろな思いがあるんだけど、あんまり大きなことを考えちゃうと先に進まないから
なるべく小さなことを考えるようにした。

例えば、「これからどうしたい?」→「セブンイレブンのサンドイッチが食べたい」とか。
じゃあ、あそこにセブンイレブンがあるから、明日買って食べようとか。
今度の休日は○○で買物をしよう。○○に行くならついでに△△にも行ってみようとか。
△△に行くにはどの電車に乗ればいいんだろう? じゃあ調べてみようとか。

こんなことを考えても、現実が劇的に変わるわけじゃないんだけど、少なくとも、
「どうしてこんな風になってしまった?」「あいつのせいだ」「あいつだけは許せない」などと
ずっと考えているよりは、
「○○を食べたい」「じゃあ、あの店に行こう」「あの店に行くならついでにあそこにも行こう」
というようなことを考えていた方がはるかにマシだ。

「どうしてこんな風になってしまったのだろう?」というのは、過去に視点がいってるんだよね。
そして、「あいつのせいだ」というのは、他人に視点がいってるんだよね。
一方、「これからどうしたい?」「どうすれば自分の望む生活ができるかな?」というのは、
未来と自分に視点がいってるんだよね。

今まで自分は、「過去」と「他人」のことばかり考えてしまう癖がついていたみたいだ。
この癖を「未来」と「自分」のことを考える癖に変えていきたいと思う。
極端な話、「これからどうしたい?」「じゃあ、こうしよう」というようなことばかり考えて
毎日を過ごしていれば、毎日楽しく過ごせると思うんだよね。
本当に他人から見たらくだらない小さなことでもいいから、自分の中で
「これからどうしたい?」という問いに対する答えをたくさん持っていて、
それを実現するにはどうしたらいいのかをいつも考えていたら、
なんかいつも楽しい時間を過ごせそうな気がする。

まあ、こんなことを偉そうに書いているけど、どうも俺は、過去のことばかり考えてしまう癖が
強烈にあるみたいで、気が付くと「どうしてこんな風になってしまったのだろう?」と考えていることが多い。
そんな時に、「いけない、いけない、今、いけない思考に走ってしまっていたな」と反省し、
意識的に「これからどうしたい?」「今日はなにしたい?」と思考を変えるようにしている。
まあ、なかなか難しいけどね。

でも、1年前は本当に暗いことばかり考えていたけど、最近は少しよくなってきたかな。
あくまでも、1年前の自分と比べたらの話だけど。
まあ、そんなわけで、「どうしてこんな風になってしまったのだろう?」とは考えない。
考えても気が滅入るだけで何も変わらない。それよりも、「これからどうしたい?」と考える。
「どうして」ではなく「どうしたら」。
自分を好きな女の子だと思って、「これからどうしたい?」って聞いてあげる感じかな。
○○ちゃんのやりたいことをしようよって。

いろいろ書いたけど、少しずつでも復活できるようにがんばります。
そうさ、俺にはやることがあるのだ!!
自分自身を外に出していく力
ある会社の役員のインタビュー記事を何気なく読んでいたら、
「子供が社会に出る前に身につけさせたいことはなんですか?」という質問があった。
その質問に対し、「表現力や発信力など、“自分自身を外に出していく力”を身につけてほしい」と
答えていて強く印象に残った。

「自分自身を外に出していく力」って大事だと思う。
俺は子供の頃から、自分を外に出していくのが苦手だった。
小学校の授業中、「これはこうなんじゃないかな」と思うことがあっても、何も言わず黙っていた。
すると、誰かが俺が思ったことと同じことを言って、「○○君、よくわかったね。凄い!」と
先生から褒められたりして、俺も同じことを思っていたのに、と悔しい思いをした。

大人になってもそんな性格は変わらない。
会社の会議で自分の意見があっても、人から批判されるのが怖くて発言できない。
いつの間にか、「黙っているのが一番いい」と思ってしまい、自分の考えていることを発言できなくなってしまった。

普段の人付き合いもそうだ。
結局、人は黙って話を聞いてくれる人を求めるものだと思うようになり、
人の話をただ聞くだけで自分の意見を言わない(言えない)ようになってしまった。
最初は、特定の人には自分を出せるが、それ以外の人には出せないという感じだったが、
歳をとるごとに、その特定の人がどんどん減っていき、今はゼロになってしまった。
それどころか、自分にも自分を出せないというか、自分が何をやりたいのか、
本当は自分がどうしたいのか、自分で自分がわからなくなってしまった。
今までたくさん我慢してきたのだから、もうお金のこととか人の目は気にしないで
自分のやりたいようにやればいい、と思うのだが、そのやりたいことがわからなくなってしまった。
今までの人生で、自分自身を外に出していっていれば、仕事も恋愛も大きく変わっていたと思う。

結局俺は自分のことしか考えていなかったのかな。
自分が相手にどう思われるか、批判されないか、嫌な風に思われないか、そればかり気にしていた。
「遠慮」と「配慮」の違いっていうのかな。
遠慮するって、一見いい意味で使われそうだけど、自分基準の考え方だと思う。
一方、配慮は相手基準の考え方。
極端な話、相手に配慮して遠慮しちゃいけない時だってあると思う。
俺は、遠慮ばかりしていたな。
それはある意味もったいないことだったし、周囲に配慮できてなかった。周囲の人はつまらなかったと思う。

多分、今の子供の中にも、凄くいい考えを持っているのに、それを外に出せない子供が
けっこういるのではないかと思う。それは凄くもったいないことだし、外に出せずに
内に秘めてしまうのは、何より本人が一番不幸だと思う。
当たり前の話だが、自分を外に出してこそ自分の人生だ。
自分の思っていることを発信しない人生なんて、おもしろいとかつまらないとか以前の問題で
自分の人生を歩んでないなと思う。

三つ子の魂百までというか、なかなか性格を変えるのは難しいと思うが、
今後は少しでも自分を外に出していけるようにしていきたい。



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